スタッフブログ・ビューティーコラム
10.19
ボケーっとテレビを観ていたら、「伝説の10.19」とか「パリーグの一番長い日」と言われる様になった1988年10月19日の「近鉄VSロッテ戦」の特集をしていました。(@ ̄ρ ̄@)
日付を書いて気づきましたが、あれからもう20年が過ぎたんですね。
ということは、ちょうど今の在校生が生まれた頃じゃん。(・∀・)
今は、消滅してしまった近鉄バッファローズが残り2戦を連勝すれば、西武を抜いて優勝という状況で行われた川崎球場でのロッテとのダブルヘッダーが行われた日です。( ̄▽+ ̄*)
お昼から行われた第1試合では、8回に2点差を追いつき、引き分けも許されない中で9回に勝ち越し!о(ж>▽<)y ☆
劇的な試合で王手をかけて、第2試合は、わずか20分の休憩をはさんで開始!
ここでも先制された近鉄は、中盤に同点、勝ち越しながら、逆に追いつかれ、最後は引き分けで優勝を逃しました。
第1試合でも最後に投げたエース阿波野投手が、ロッテの4番高沢選手(通しか知らない・・・)に、8回に同点ホームランを打たれたときのスタンドの悲鳴が印象に残っています。・°・(ノД`)・°・
当時の「近鉄VSロッテ」と言えば、ハッキリ言って超マイナーなゲーム。(・∀・)
ロッテの本拠地の川崎球場と言えば、珍プレー好プレーで、スタンドでお客さんがバーベキューや麻雀をする様子が紹介されるほどガラガラ状態。(・∀・)
それが、スタンド超満員であまりの熱狂ぶりに急遽、ドラマやニュースステーションの時間に全国放送されました。
最後、制限時間超過で勝ちの無くなった近鉄ナインが、涙をこらえて守備につく姿は、今も目に焼きついてます。(ノ_・。)
もっとも、当時の私は、パリーグでは南海ホークス党。(・∀・)
その年を最後に、阪急ブレーブスとともに消えていったのですが、暇さえあれば大阪球場に行ってました。o(〃^▽^〃)o
今は、すっかり「なんばパークス」になっちゃいましたけど・・・。(-“-;A
今思えば、阪急・近鉄・南海・阪神と関西の私鉄が4つもプロ野球チームを持っていた時代。
甲子園を除けば、西宮も藤井寺も大阪もガラガラの日々でしたけど、甲子園や京セラドームでは味わえない何ともいえない風流さがあったんですよねぇ・・・。(°∀°)b
そして、これも今思えばですが、昭和最後の年の出来事だったのです。